第9回岩手甲状腺眼症研究会抄録

【 更新日:2018/10/22 】

 

1. 教育講演

眼科に関連した神経内科疾患~重症筋無力症を中心に~

岩手医科大学神経内科講師 水野 昌宣 先生

眼瞼下垂、眼球運動障害、視力低下、視野障害など眼科を受診され神経内科的な疾患を疑い当科へ紹介を受けるケースは多い。今回は特に重症筋無力症(MG)について解説させていただく。

まず、MGの診断に関しては、症状の日内変動・易疲労性が大切であり多くの症例は臨床症状や経過で判断がつく。特に抗アセチルコリン受容体抗体陽性例であれば診断に悩むことは少ない。しかし、抗アセチルコリン受容体抗体陰性例や症状の変動がみられない症例、他疾患との合併例は診断に苦慮することもある。今回は、①抗アセチルコリン受容体抗体の診断的意義と治療のモニタリング、②抗Musk抗体陽性の重症筋無力症の特徴、③Havey-Masland試験とエドロホニウム試験の意義と注意事項について解説させていただく。

MGの治療に関しては、ステロイドやカルシニューリン阻害剤、血液浄化療法、免疫グロブリン療法など治療のオプションは豊富である。また胸腺腫合併用例に対して胸腺摘出術がなされる。胸腺腫非合併例MGに対して胸腺摘出術をどうするべきか議論がなされている。最近、抗C5モノクローナル抗体が認可された。実際の治療の流れを解説させていただく。

最後に、眼筋型MGの治療で実際に悩んでいる症例、治療に難渋した自己免疫性甲状腺疾患合併MG症例などを提示させていただく。

2. 特別講演Ⅰ

眼窩減圧術の歴史的変遷

愛知医科大学病院眼形成・眼窩・涙道外科教授 柿崎 裕彦 先生

眼窩減圧術は、眼球突出の改善や視神経への機械的圧迫の解除を目的とした手術である。現在、前者に対しては外側壁深部減圧やこれに内壁減圧を加えたバランス減圧が、後者に対しては内壁減圧(+/− 下壁減圧or外側壁深部減圧)が主として行われている。このように、術式・適応としては確立された感のある眼窩減圧術ではあるが、約130年前にはじめてこの手術が行われて以来、減圧効果の向上や合併症の低減を求めて、先達たちは様々な工夫を行ってきた。

眼窩減圧術はKröleinによって1888年に初めて行われた(Beitr Klin Chir 4; 149-63: 1888)。眼窩腫瘍を摘出するためのアプローチとして有名な、かのKrölein法である。彼は眼窩外側壁の前方が薄いことに着目し、この部分を骨折させることによって、類皮様嚢腫の摘出を行った。

甲状腺眼症に対する眼窩減圧術は1890年にDollingerが初めて行い、これはKrölein法を用いた2例の外側壁浅部減圧であった(Dtsch Med Wochenschr 37; 1888-90: 1911)。

Krölein法からの眼窩減圧術は、皮膚の傷が目立つことから広く普及するには至らなかったが、この点を克服するためにHirschは1929年、経鼻からのアプローチによって下壁減圧を行った(Monatsschr Ohrenheilkd Laryngorhinol 64; 212-3: 1930)。

経頭蓋アプローチの祖はNaffzigerであり、1931年に前頭蓋経由から眼窩上壁の切除を行った(Am Surg 94; 582-6: 1931)。

1936年には、耳鼻咽喉科医で解剖学者でもあるSewallが前頭洞-篩骨洞経由からの減圧法を考案した(Arch Otolaryngol 24; 621-4: 1936)。しかし、彼自身はこの手術を行わず、代ってKistnerが1939年、これを行った(JAMA 112; 37-8: 1939)。

眼窩減圧術の革新の第1波はWalsh & Oguraによってもたらされた(Laryngoscope 67; 544-68: 1957)。これは経上顎洞からアプローチし、下壁、内壁を減圧する術式である。この手術はその後長らく、眼窩減圧術の主流となった。さらにKennedyらが1990年、内視鏡を用いた経上顎洞アプローチからの減圧術を報告、より一層、この術式が人気を博することとなった。術後の眼球運動障害に対してGoldbergらは、内壁-下壁接合部(strut)を残すことによって、その発生率を低減させうることを報告した(Ophthal Plast Reconstr Surg 8; 32-4: 1992)。内壁減圧は内視鏡下で行う方法が主流となったため、この術式に対して眼科医は、耳鼻科医に後れをとっていった。眼科医が内壁減圧を行う場合、後述するswinging eyelidアプローチから下壁経由で内壁を減圧したり、また、直接、皮膚を切るアプローチ(Lynch切開)から行っていた。この場合、視界の悪さや皮膚の傷が問題となった。これらの諸問題を解決したのが経涙丘アプローチであり、Shorrらが2000年に報した(Ophthalmology 107; 1459-63: 2000)。このアプローチは、皮膚に傷をつけることなく、また良好な視界の下で手術を可能とした。

上述のように眼窩減圧術は、眼窩内容を副鼻腔に脱出させる術式を基本として発展していった。しかし1989年、革新の第2波が突如、Leoneらによってもたらされた。(Am J Ophthalmol 108; 160-6: 1989)。これは外側壁深部減圧の始めての報告であり、外側壁深部の骨髄を削って眼窩容積を拡大させるという非常に斬新な発想に基づくものであった。それまでの外壁減圧と言えば、単に外側壁の前方を骨折させる外側壁浅部減圧を意味した(Ophthalmology 92; 21-33: 1985)。

しかし、この報告から直ちに外側壁深部減圧が優勢になったわけではない。その地位を確立するためには、なおも6年の歳月を必要とした。Goldbergらの教科書よって、swinging eyelidアプローチが普及したことが契機であった(Orbital Surgery: A Conceptual Approach. Lippincott-Raven, 1995)。Swinging eyelidアプローチ自体は、1981年にMcCordが発表していたが、これは下壁から内壁にかけての減圧に対して主に使用されていた。ヨーロッパではこの方法を用いて、下壁-内壁減圧を行っている眼科医は多い。しかし現在、外側壁深部減圧と内壁減圧を同時に行うバランス減圧では、下結膜の切開を短くしたswinging eyelidアプローチと経涙丘アプローチから行うのが主流となっている。

経頭蓋アプローチからの眼窩減圧術は、前術のとおりNaffzigerが1931年に初めて報告したものである(Am Surg 94; 582-6: 1931)。しかし、侵襲の大きさや長いlearning curveゆえ、その後は眼窩減圧術へのアプローチとしてはあまり普及しなかった。しかし1969年、Tessierが経頭蓋アプローチからの彼ら独自の方法を報告してから流れが変わった。さらに下って、1980年代半ば頃、Krastinovaら(Ann Chir Plast Esthet 30; 351-8: 1985)やKoornneefら(Orbit 5; 123-9: 1986)が本法の結果を報告して以来、その後、約10年間にわたって経頭蓋アプローチは眼窩減圧術の主流となった。特にKoornneefは、アムステルダム大学の教授として多くのfellowの教育にあたったため、彼の弟子たち、すなわち、Mourits(Ophthalmology 112; 1310-5: 2005)やBaldeschi(Orbit 28; 231-6: 2009)らの活躍により、この術式は一世を風靡した。しかし、swinging eyelidアプローチが主流となってきた1990年代後半からは、侵襲の大きさや患者への恐怖心をあおる術式であることから、次第に本術式を行う眼科医は減っていった。

侵襲の小さいアプローチとしては下眼瞼の睫毛下切開、上眼瞼の経重瞼線切開も見逃せない。下眼瞼から眼窩へのアプローチとしては、実は経結膜アプローチの方が歴史的に古く(Bull Acad Med Paris 92; 1270-2: 1924)、睫毛下切開は戦後になってようやく認知されるに至った(Plast Reconstr Surg 8; 46-58: 1951)。下眼瞼の睫毛下切開は、眼窩壁骨折の再建等で眼科医になじみの深い眼窩へのアプローチであるが、このことからAndersonらは1981年、このアプローチからの下壁・内壁減圧を紹介した。上眼瞼の経重瞼線切開からの眼窩へのアプローチも比較的新しい方法であり、Goldbergらの1998年の論文の中で初めて紹介された(Arch Ophthalmol 116; 1618-24: 1998)。

眼窩減圧術の異なった潮流として「脂肪減圧」があげられる。もともとは1920年にMooreが報告したものであるが(Lancet 196; 701: 1920)、1991年のOlivariの報告によって注目を集めた(Plast Reconstr Surg 87; 627-41:1991)。平均6ccの脂肪を切除し、約6mmの減圧が可能と報告された。術後の眼球運動障害が少ないなど、骨減圧に比べて有利な点も多いが、眼窩内出血による失明の報告や眼窩内の運動神経(Int Ophthalmol. 2018: Epub ahead of print)や感覚神経の切断、また、下斜筋や上斜筋などの直接的障害などの合併症が報告されており、現在、EUGOGOの指針では、骨減圧の追加として行うこととなっている。

経側頭窩アプローチ眼窩外側壁深部減圧術という方法が近年、報告された(Ophthalmology 115; 1613-9: 2008)。通常の眼窩外側壁深部減圧は、外側浅部の骨を外さずにアプローチするため、術野が狭いという欠点があった(Br J Ophthalmol 84: 775-81: 2000)。そこでこの欠点を克服する目的で、眼窩外側壁を側頭筋を剥離した上で可視下におく方法が考案され、安全・確実に減圧手術が行えるようになった。この報告でのもう一つの特筆すべき点は、硬膜を可及的に広く露出したことにある。本報告では、硬膜が後方のメルクマールになるためとだけ説明されたが、後述のGoldbergらの報告(Ophthal Plast Reconstr Surg. Epub ahead of print:2018)によって、より有効な減圧につながる根拠が示された。

Goldbergらは(Ophthal Plast Reconstr Surg. Epub ahead of print:2018)、眼窩外側壁深部底に接する硬膜を露出すれば、眼窩内容が脳方向に移動し、減圧効果が向上しうることを示した。従来は眼窩外側壁深部底の骨を切除してもより有効な減圧効果は得られないとされていたが、そうではないことを示し、眼窩外側壁深部減圧術の新たな潮流をつくった。

コンセプトとしては秀逸な方法として、外側の眼窩骨を前方に移動して固定する術式も報告されている(Ophthalmology 97; 1358-69: 1990)。この術式は外側壁浅部減圧を敷衍したもので、骨切りした骨を、前方に4mm、外側に2mmずらして、プレートで固定する方法である。しかし、眼窩減圧術の大半を行っている眼科医にはやや手に余る術式であり、また、この報告の数年後には外側壁深部減圧が減圧術の主流となってゆく歴史的刹那のため、広く普及することはなかった(Ophthal Plast Reconstr Surg 23; 192-6: 2007)。

現在、第一選択として行う眼窩減圧術の潮流は以下の4つに分けることができる。
①外側壁深部減圧+/—内壁減圧(バランス減圧)
②脂肪減圧
③経側頭窩アプローチ眼窩外側壁深部減圧
④耳鼻科医が主に行う内視鏡下での内壁減圧+/—下壁減圧

①外側壁深部減圧+/—内壁減圧(バランス減圧)は、現在、術後の合併症の少なさから、第一選択の術式として世界的に主流となっており、これに脂肪減圧を付加的に追加することもある。我々はこの方法を第一選択としている。

②脂肪減圧を第一選択とする場合は、あまり重度ではない眼球突出であり、アメリカのGoldbergらのグループ、ドイツのOlivariらのグループが主として行っている。従来、Kikkawaらの報告にあるように(Ophthalmology 109; 1219-24: 2002)、眼球突出度によってどれだけの壁を減圧するかということに焦点があてられていた。しかし、Goldbergらは眼球突出度によって術式そのものを変えようと提唱しており、やや軽度の眼球突出に対しては、脂肪切除に少量の下壁の骨を除去する低侵襲の術式(Minimally invasive orbital decompression. Arch Ophthalmol 123; 1671-5: 2005)を紹介している。

③経側頭窩アプローチ眼窩外側壁深部減圧は、現在、イギリスのGeoffrey Roseらが積極的に行っている術式である。減圧の効果は①と変わらないが、術野が広く、そのため手術時間の短縮を図ることができる。Geoffrey Roseの勤務するロンドンのMoorfields Eye Hospitalは世界一の患者数を誇る眼科病院であり、そのため患者の待機リストもかなりの数に上っている。多くの患者を手術しなければならないという社会的背景もあり、彼はこの術式にたどり着いたのであろう。

④耳鼻科医が主に行う内視鏡下での内壁減圧+/—下壁減圧は、傷がつかないという点では秀逸であるが、術後の眼球運動障害の発生率が大きいため、整容改善目的では第一選択とはしにくい。しかし、視神経症に対しては、視神経に圧迫を加えることなく、愛護的に手術操作が可能である故、第一選択として用いたい術式である。

以上、現在に至るまでの眼窩減圧術の歴史的変遷を述べた。本講演では、上記に加えて私見を交えながら解説してゆきたい。

3. 特別講演Ⅱ

内科医のバセドウ病眼症へのかかわり

隈病院甲状腺内科 深田 修司 先生

甲状腺専門内科医にとってバセドウ病眼症は最も対応が難しい疾患の一つである。隈病院では、かつて眼症の治療は外科医が中心となって、甲状腺全摘術を中心に行っていた。その後は、内科医が関わるようになり、まずプレドニゾロン大量内服療法を試みたが、治療効果を内科医が評価していたため、この方法はすたれてしまった。その後は、眼科医との協力関係ができあがり、初期治療は、まず内科医がステロイドパルス療法、放射線療法を入院のうえ行い、その評価を眼科医が行い、さらに眼窩減圧術など外科的な処置を必要とする場合は眼科医が中心となって行うという治療体制ができあがった。

その後は、どういうわけか眼症は目の病気だから眼科医が基本的には診るべきだと、発想が大転換した。つまり、バセドウ病眼症はすべて眼科医におまかせ状態となって現在に至っているのである。この発想は基本的には間違いないと思われる。

では内科医の役割は何か? まず重要なことは、眼科医の治療に満足しているか患者から十分な情報を得て、共感を持って、その訴えに(そのほとんどが愚痴であるが)、耳を傾けることである。眼科医を陰ではサポートしながらも。患者の愚痴もきく、これが内科医の第一の役割である。つまり患者、眼科医、内科医が協力関係を築きながら治療を勧めていく体制を作り上げていく。

次は、いかにバセドウ病眼症を早期に、見いだし、診断し、上手に眼科医に紹介するか、これは内科医のうでの見せ所といってもいい。今回、この講演が決まってから、いかに眼症の患者に内科医として関わっているか、眼症の患者が受診するたびに逐一メモをとりためてきた。興味ある症例もかなりの数を経験している。それらの症例を、できるだけ丁寧に呈示し眼科医にいかにうまく受け渡すのかの話をするとともに、また症例を通じて何とか、バセドウ病眼症の本態にせまることができないか工夫してみたいと考えている。


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