平成17年5月号(No.67) 米国医療についての忘れられない経験
構造改革という名のもとに規制改革・民間解放推進会議が強く主張している混合診療の解禁問題は、このところ表面的には沈静化しているように思われる。このことに関して、米国医療の実態をふまえて『市場原理の導入』に直結する混合診療の問題点を説得力ある視点から指摘した李啓充先生の啓発活動は大いに評価されるものと思われる。
昨年10月に出版された李先生の著書『市場原理が医療を滅ぼす』の中に2003年に虫垂炎に対する腹腔鏡下虫垂切除術を受けたために膨大な借財を抱えることになったニューヨークの25歳女性の話が紹介されている。私はその項を読んで、21年前の米国留学中に経験した忘れられない思い出が脳裏をよぎった。
私は、1982年6月から米国バージニア医科大学に留学の機会を与えられたが、翌年の1983年8月8日にforeign affair officeから連絡があり、日本人の大学生が入院しているが、会話を含めた援助をしてほしいという。私に連絡が入った理由は、渡米1年後の6月に外国人サポートのボランティアメンバーとしての登録を了承していたからであると思われる。急きょ病室に行ったところ、その日本人は南山大学のY君という、9月からネブラスカ州立大学に交換留学する予定の学生であった。西海岸からグレイハウンドバスで米国各地を廻り、フロリダからニューヨークに行く途中で急性腹症となり、8月4日に急患で運ばれたという。当初の診断は急性腸炎で絶食と点滴治療が行われていた。ドクター、看護師とコミュニケーションが取れない状況下で、点滴が外れた際に「upset」という言葉をつかってしまったため、psychologicalな問題もあるとのことで精神科医が往診に来たこともそのとき知った。とりあえず元気そうなので安心していたが、1週後の8月15日に再び連絡があり、虫垂炎から腹膜炎をおこしており、急いで手術が必要との説明があった。手術後2週間の点滴を受け、入院後40日目に退院許可があったが、治療費の請求額はなんと33,000ドル(当時1ドルは250円であり、約825万円!)であった。また、本人から「傷口はまだ治っていないんですよ」とのことで見たところ、皮膚の癒着が不十分で、眼科医の私にも“poor job”であることは一目瞭然であった。御両親に治療費の連絡をしたところ、サンフランシスコから日本のT保険会社の駐在員が訪れてきた。しかし、加入していた保険は上限が1万ドルであり、600万円以上を現金で支払う必要が生じた。研究室の同僚には「診療側を訴えたほうが良い」と言われたが、自分にはなすすべもない。私の教授に事情を全て話し相談したところ、外科の主任教授と会う約束をとることができた。手術室の隣の部屋に出向き「診断が遅れたのではないか」「執刀は誰がしたのか」をまず質問した。手術は主任教授が行ったと述べ、経過が問題ない旨強調しただけで、後日改めて連絡するという返事であった。その数日後、サンフランシスコのT保険会社の担当者から電話があり、診療費の保険外不足分は“no charge:無料”になったとの連絡が入った。えっ?何があったのか自分の耳を疑った。診療側が非を認めた以外の理由がないことは容易に推測された。退院後、Y君は私のアパートに2泊し、家内の手料理を食べ、新学期には少し遅れたものの無事目的地のネブラスカへ飛び立った。米国の医療状況は患者側、特に低所得者層にとっては悪化の一途を辿っており、Y君よりももっと深い傷を負っている被害者がたくさんいることは十分に推測できる。また、Y君の手術が行われた週、両親が医療費を支払えないためにファロー四徴症(重症の先天性心疾患)の子供が診療を受けることができず死亡したというロサンゼルスでのニュースが報道されたことも『アメリカ医療の影』を感じた負の思い出として残っている。
李先生は『ジョンQ-最後の決断-』という映画を米国医療の現状を説明する際に紹介しているが、私は1997年に公開された『誤診』(原題名はfirst no harm:ヒポクラテスの第一の誓詞)という映画も米国の典型的な医療現場をきわめてよく表していると思う。御一見をお勧めしたい。
留学経験のある医師が患者側の目線から海外での医療体験を伝えることは、日本の医療制度改革を考える上で有意義ではなかろうか。
院長 小笠原 孝祐