平成17年1月号(No.65) 私の蕎麦打ち修行
<はじめに>
『蕎麦は健康食でポリフェノールの一種であるルチンを含むため、成人病予防に効果がある』ということなどは蕎麦好きの人にはどうでもよいことかもしれない。蕎麦の風味と蕎麦湯の香、そして何よりも旨い蕎麦が食べたい。それが手打ち蕎麦に興味を持った始まりである。一般に、市販されている乾蕎麦の包装には、原料の表示として小麦粉、蕎麦粉と記されているものがほとんどである。これは、小麦粉の量が蕎麦粉より多いことを表している。これでは蕎麦湯がおいしいはずがない。また、中にはでん粉粉を混ぜている製品もある。乾蕎麦を求めるなら蕎麦粉、小麦粉と表示してあるものを選びたい。
<出会い>
前置きが長くなったが、私が初めて手打ち蕎麦を体験したのは、平成7年10月に『いわて男子厨房に入ろう会』が企画した生蕎麦を打つ会にトライアスロンの鉄人斉藤達雄先生とともに参加した時であった。講師は小笠原ハナさんという方で、毎年アネックスカワトクの二戸フェアで手打ち蕎麦の実演をしているということであった。その日は夢中で蕎麦粉をこねた記憶しかないまま帰宅した。初めてでも何とか食べられるものが出来たので、蕎麦粉を寺町通の赤喜さんで入手し、こね鉢はステンレス製のボール、のし板の代用品としては約1m四方の板をホーマックで買い求め、蕎麦切り包丁とこま板(蕎麦を切るときにそえる板)、打ち棒は橋市で購入し、早速自宅で蕎麦打ちを行ってみた。その結果は、『下手な頃から我慢して食べてくれる家族』の限界を超えていた。このままでは家長としての権威失墜ということで、書店で『手打ちそばの技術』なる本を入手し熟読して、長~い蕎麦を打ちたいと何度か再挑戦した。しかし、結果は大差ないしろものであり、せっかく購入した道具はお蔵入りとなった。しかし、その後に転機が訪れた。平成10年10月のNHKテレビ『この人に聞く』で、現代手打ちそばの元祖片倉康雄氏が紹介され、その一番弟子であ高橋邦弘氏の妙技を目の当たりにして“チョウのように舞う蕎麦切り”は出来なくても、何とか人に食べてもらえる蕎麦を打つようになりたいと決心した。私の大学院時代に岩手医大第一解剖の助教授で、現在新潟大教授である車田正男先生の『ふのり』を使用した蕎麦粉100%の絶品を御自宅の『無腸庵』という庵で御馳走になったのも大きな刺激となった。そんな矢先、前述した小笠原ハナさんが自院を受診した。軽い白内障と結膜炎だけであったが、膝が弱くなって二戸からの通院がままならないとのことであった。ということは、蕎麦打ちを盛岡で教えて頂くことができなくなると考え、思いきって二戸の自宅へ出向くので弟子として扱ってほしいと申し入れた。ハナさんは驚いたが快諾して頂いた。ハナさんは女手一つで二人の子供さんを育て上げた方で、昭和50年代までは二戸の『小華食堂』を営み、鈴木善幸元首相にも蕎麦を振舞ったことがあるとのことであった。5年前の11月、二戸市足沢の御自宅へ向かった。ところが、カーナビも役に立たず、なかなか目的地に着くことが出来なかったが、何度か道を聞きながらこの辺かなというところで妻が降りてみたところ、「そばつゆのにおいがする」ということでやっとお宅にたどり着くことができた。ハナさんは寺院に通うのにバス停まで徒歩40分、バスで二戸駅まで40分、そして東北本線で盛岡まで来ていたという。私は3分診療を心から申し訳なく思った。翌年の春には2度目の指導を頂いたが、このような状況から指南料は『目薬』を希望されたのは当然かもしれない。蕎麦打ちの基本は、木鉢→延し→包丁→茹でであるが、最も大事なのは木鉢の作業で粉に水を含ませる“水まわし”とそれを一つにする“まとめ(くくり)”である。手打ち蕎麦にくじけるのはまさにこの工程がうまくいかないからであろう。ハナさんの打ち方(勝手に小華流と命名)は蕎麦粉9に小麦粉1(一般的には小麦粉2の割合の二八蕎麦が有名)を半量ずつ熱湯と水でくくりを行い、それを合体させるものであった。水まわしには大きく分けて信州の戸隠流に代表される指先で粉に加水する方法と、小華流のように箸を使い少しずつ加水しながら水まわしをする方法があると思われる。延しの技術も難しいが、ハナさんの指導のお陰でその後は何とか家族の前には出せる蕎麦が打てるようになった。この時点で次のステップを目指し、本物の一本彫りのこね鉢と合板ののし板、刃高の大きい蕎麦切り包丁その他を購入した。総額は8万円ほどかかったが、ゴルフ道具よりは確実に安い買い物である。その年の仕事納めの日には、半日がかりで15人分の蕎麦を職員に振舞った。
<十割蕎麦の妙技>
基本的に蕎麦粉にはグルテンがほとんど含まれていないため、つなぎを入れないとまとめることは困難である。従って、手打ち十割蕎麦は蕎麦打ちをする者の夢である。昨年、自院の近くの緑が丘(緑が丘消化器科内科医院の隣)に『やま庵』という手打ち蕎麦のお店がオープンした。何度か食べに行っているうちに、話の弾みから蕎麦打ちを見せて頂く許可を得た。その打ち方は、熱湯も使わず水だけで前述した戸隠蕎麦の技であった。1.5Kgの蕎麦粉を1.0×1.5mに1mmの厚さで均等に延し、全工程は約1時間20分で終了した。お店は1日30~50食限定で蕎麦がなくなり次第閉店するので、平日に食べに行くことをお勧めしたい。一度は味わってみても損はないと思う。
<余 談>
現在、蕎麦粉の80%は中国からの輸入物であるという。岩手県は蕎麦生産量では全国8番目位らしいが、北海道産の蕎麦粉の人気が高いという。私が使用する蕎麦粉は藪川、外山、青森県の南郷村から入手している(1kg1,000円~1,500円)。一般の蕎麦粉は挽きぐるみ(玄蕎麦)で蕎麦の殻も混じっているし、決め細かい粉を用いるためにも必ずメッシュ40~60のふるいをかける必要がある。蕎麦粉を手で握ってみて指の跡がつくものでなければ、名人でも十割蕎麦を打つことは出来ないという。また、外気の湿度や蕎麦粉の状態によって加水率を加減するのが難しい。このことが、何回打っても同じように出来上がらない理由だと思われる。また、蕎麦打ちの延しの際、のし板を叩く音が出せるようになれば一人前という。蕎麦打ちは趣味と実益を兼ねた男のロマン。少しでも満足できる蕎麦を打てるようになりたいと新蕎麦の季節が来るたびにいつも思う。