平成14年6月号(№53) 副院長(大森可芽里先生)紹介

【 更新日:2002/06/01 】

新緑の候、皆々様には益々御清栄のこととお慶び申し上げます。
さて、当院はお陰様にて平成5年3月開設以来、今年で満10年となりました。これを機に5月13日より、前岩手医大眼科講師 大森 可芽里先生を副院長としてお迎えする運びとなりました。 
大森先生は眼科全般の診療の他、ぶどう膜炎、眼底疾患を専門として活躍してこられました。今後は、二人体制で診療面でのより一層の充実を計り、皆様方に御満足頂ける眼科医療に邁進する決意を新たにしております。何卒宜しくお願い申し上げます。

院長 小笠原 孝祐

自己紹介

はじめまして。大森 可芽里(おおもり かがり)と申します。
  生まれは京都、育ちは北海道、当地に参りましたのは大学入学からですが、もう岩手が一番長くなりました。昭和63年に岩手医大を卒業して、同年大学院入学及び眼科医局に入局、平成4年に大学院を卒業して、平成5、6年は盛岡市立病院常勤、平成7年からの3年間は大学に助手として戻り、平成10年には盛岡赤十字病院常勤、そのまま大学を辞める作戦だったのですがこれは失敗に終わり、翌11年に再び大学に戻って今年の3月末に退職するまで講師を務めさせて頂きました。その間、非常勤では宮古、北上、花巻、水沢、江刺など色々な病院に出張しました。
  大学での専門は一応「眼底疾患・ぶどう膜炎」ということになっておりましたが、実際は診断が確定しない患者さんに四苦八苦していたというのが実状です。内科と兼科の患者さんが大部分で、経過は慢性で治りきることがなく、じりじりと下がる視力をいかに長く保たせるかという、あまり感謝されることを期待できない仕事でした。そんな方達ばかりを診ていたせいか、白内障や流涙症や結膜炎などの患者さんに接する機会がかなり少なく、実はこんなにいらしたのか!と、最近ちょっと驚いています。
  仕事をやめてしばらくぶらぶらする予定もあったのですが、慈悲深い・・・小笠原先生に拾われてお手伝いさせて頂くことになりました。開業医さんのお手伝いも数件させて頂いた経験がありますが、こちらではスタッフ全員が小笠原眼科クリニックで働いていることを内心自慢に思っているのが感じられ、「よっ、院長!」と掛け声の一つも聞こえてきそうな気がします。
  私自身は家庭の事情のため、診療時間が始まってからの重役出勤、また、帰りも診療が終わる前に早退という「ひとりフレックス」で十分な戦力とは言えず、他の職員の方々に申し訳なく思っています。その代わり仕事時間中は、子孫のために美田を買って(?)LASIKまで導入された院長の心意気に少しでも近づけますよう、スターバックス並みの“just say yes!”で頑張りたいと思います。無駄に年だけとってはいても新米で分からないことばかりですが、何を言われても立ち直りだけは早いので、お気づきの点は皆様からビシビシご指導頂けますよう今後とも宜しくお願い申し上げます。

 

<副院長略歴>

昭和63年  3月 岩手医科大学卒業
平成 4年  3月 岩手医大大学院卒業
医学博士取得  
平成 7年  4月 岩手医大助手
平成10年  4月 盛岡日赤眼科部長
平成11年10月 岩手医大眼科講師
平成14年  3月  同上退職

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