81/682はy=axのひとつの解か?

【 更新日:2013/02/22 】

分母の682は今年2月に行われた第128回盛岡市医師会通常総会時点での盛岡市医師会の会員数であり、81というのは総会への出席者数である。y=axは解剖学者である養老孟司先生の著書「バカの壁」の中に記載されている“現実”を決定する脳内の一次方程式である。

私は大学院にて視覚系の神経解剖学を川村光毅教授のもとで学ばせて頂いたが、「脳の機能」を一言で言えば、「感覚と運動の統御(integration)」であることを第一に教わった。養老先生の脳内方程式は正にそのものであり、入力xとは脳に入ってくる情報であり出力yはその情報に対する反応のことである。この反応とは具体的な運動のことで、これには話すことや書くこと、表情なども全て含まれる。入力された情報について頭の中で考えをめぐらせることも脳内の運動である。従って、コミュニケーションという形をとる場合も出力は何らかの運動表現になる。では、脳の中のaという係数は何を意味しているのであろうか。この係数aは「現実の重み」と著書の中には書かれており、各個人や入力情報によって非常に違っている。通常は入力xがあれば、必ず何らかの反応があるが、まれに「a=0」ということもある。この場合、何を入力しても出力はないので、行動には影響しない。「知りたくないことに耳を貸さない人間に話は通じない」あるいは、「一生懸命話しても、相手に話が通じない」ということになる。反対に「a=無限大」になることもある。代表的なものが原理主義で、ある情報や信条がその人の絶対的な現実となり、行動を完全に支配する。テロやオウム真理教がそれにあてはまり、そこにコミュニケーションは存在しない訳である。

脳内方程式y=axの入力情報xは日々刻々と変化し、それを受け止める人間の方は変化しないと思われがちであるが、実は逆であるという。「万物は流転する」という言葉があるように、人間は寝ている間も含めて成長なり老化なり、変化し続けている。つまり、寝る前の私と起きた後の私は別人なのである。しかし、朝起きるたびに生まれ変わったという実感はない。これは、脳の働きによるもので、脳の中で毎日「自己同一性」を追求するという作業が行われ、私は私と思い込ませているからであるという。確かに毎朝別人になっていては、社会生活は営めない。一方、「万物は流転する」という言葉自体は一言一句変わらず現代にまで残っている。言葉という“情報”は永遠に変わらないのである。養老先生は平家物語の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という冒頭部分を引用し、物理学的には鐘の音は常に同じように響くのに、その時々で違って聞こえるのは、それを聞く人間が常に変化しているからだという。しかし、いつの間にか、変わるものと変わらないものとが逆転し、多くの人はそれに気づかないでいるらしい。こうした中で、知るということの意味や捉え方も違ってきている。変化するものが逆転した結果、「約束」に対する感覚も変わってきているという。人間は変わるが、言葉は変わらない社会では、「約束」は絶対の存在であり、最も大事なルールだった。だが近頃では、約束というものが軽くなってしまった。だから、政治家は公約を破っても何とも思っていない。国民も公約はすぐに変わるものだと承知している。これは、情報は変化する、という勘違いから生まれた最たる例である。政治家は「言ったこと(情報)はどうせ変わるものだ。しかし、選挙で当選した自分は不変なのだからそれでいいじゃないか」と自分の言ったことに拘らなくなったのだと思う。鳩山前首相の普天間基地移設問題に対する言動と行動はその例の最たるものであり、四半世紀にわたる禍根を後世に残した失政といっても過言ではない。政治の根本となる柱は「外交、防衛、教育」であると私は思う。この基軸とa係数の「現実の重み」を共有する方々の政党に政治を行って頂かなければ経済や福祉の問題解決の糸口を見出すことも困難ではなかろうか。国政にあたって、a係数の大きく異なる人達の集団が一貫性のある施策を実行していくことには大きな“壁”が存在することは想像に難くない。

医師会組織の衰退が現実となってきており、その組織力強化に努めている執行部の皆様のご苦労は察して余りあると感じている。「医療問題は政治の場で決着する」ということを何度話しても相手には通じず苛立ちを感じることも多いのではないだろうか。少なくとも私の父の世代までは、知る・学ぶということは自分が変わり、社会が変わることだという世界観を持っていたと思う。最近、池上彰氏の政治、経済、自治に関する解説本がベストセラーとなり、また、氏がテレビに登場する機会が増えている。これは、本来人間には知りたいという気持ちがあり、常に生まれ変わりたいと思っている表れではないだろうか。医師会員は多額の会費を支払っているのにも関わらず、医師会活動に関心を持たないということは、税金を払っているのに国政に興味を持たないことと共通点があると思わざるを得ない。

 239/682の分子は冒頭に記載した新役員を選出した盛岡市医師会通常総会の際に委任状も出さなかった会員の数である。この数値を改善するためにはどのようにすれば良いのだろうか。私の拙文についての御批判は多々あると思うが、医師会組織の活性化について“壁”を越える議論が沸き上がることを期待したい。

平成22年10月発行 第563号 盛岡市医師会報

小笠原 孝祐

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