平成22年1月号(No.87) 今泉亀撤先生追悼号

【 更新日:2010/01/01 】

H22.01eyeNo.87-02

昨年12月29日岩手医科大学名誉教授の今泉亀撤先生が満102歳でご逝去なさいました。今泉先生は昭和24年に角膜移植を日本で初めて行われ、昭和32年には死体眼球による角膜移植手術を成功させたことがきっかけとなり、日本角膜移植法案(今泉法案)を成立させたことは我が国の医学史上にも深く刻まれており、永久に語り継がれていくことと思います。昭和33年にはアメリカの駐留軍(三沢米軍基地)にoperation eye sight(開眼作戦)という失明予防組織が発足しましたが、その活動への功績が称えられ昭和39年には当時のジョンソンアメリカ大統領からV.I.Pとしての厚遇を受け感謝状を授与されておられます。正に日本国内のみならず世界的に有名な眼科界の巨星でした。

私は岩手医大在学中昭和50年に今泉先生の講義を受けた最後の学年ですが、その後、県立中央病院に昭和64年から平成5年まで勤務した際、社会保険の診療報酬審査委員を今泉先生とともに務めさせて頂きました。私とは44歳の年齢差があることから孫子コンビと言われておりました。今泉先生からその5年間で色々なことをお教え頂き、多くのご薫陶を受けました。
 上に掲載している書は今泉先生が師事した四竈仁邇[しかまじんじ](雅号静堂)先生がしたためたものですが、今泉先生は東北大学医学部に首席入学した際、自分の拙字を恥じて名前はきちんと書きたいと発奮し、当時の有名な書道家の門を叩いたと聞いております。その四竈先生が書いた書は「鐡牛生石卵」というものですが、鐡牛、石卵ともこの世には実在せず、無から無を生む格言で古漢書の発明、発見、啓蒙、啓発を意味する深遠な言葉だそうです。このことを砕いて考えるとこの世で不可能と言われることに挑戦しそれを成し遂げるということであると解釈されており、今泉先生の門下生は石卵会という同門会を作られております。
 今泉亀撤先生の名前「亀撤」は亀の甲羅をとることを意味します。しかし、亀にとっては命の甲羅はとれないことから、人がやれないことをやってほしいという願いを込め、御祖父が命名されたとのことです。
 四竈先生はこの「亀撤」の語釈に相通ずる「鐡牛生石卵」から書道の雅号をとして「鐡牛」を今泉先生に授けられたとのことです。
 先生の多大なるご功績とご人徳を偲び謹んでご冥福をお祈り申し上げる次第です。


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