平成21年2月号(No.82) ひん死にあえぐ医療をどうする

【 更新日:2009/02/01 】

本年1月26日の岩手日報朝刊オピニオンのコーナー「いわての風」の欄に前県立中央病院院長で、現在、八角病院副理事長の樋口紘先生が「ひん死にあえぐ医療をどうする」と題して現在の我が国における医療の問題点について的確でわかりやすく且つ建設的な内容を提示されています。大変素晴らしい文章であり、感銘を受けたのは私だけではないと思います。樋口先生御自身から御許可を頂きましたので、当院の院内報に引用させて頂き、ここに紹介をする次第です。御一読頂ければ幸いです。

50年前の元日の夜を思い出す。兄が急な腹痛で激しく吐き出した。当時は救急車もなく、リヤカーに兄と布団を乗せて町に1つしかない医院に駆け込んだ。夜中に起こされた50代の医師は腹に手を当てるや、酒で赤らんだ顔を引きしめ「腸閉塞だ。すぐ手術」と言った。医学部1年生で解剖実習もしていない私に「手術の助手をしろ」と命じた。腹が開かれると、風船みたいに膨れ上がった腸の固まりが、いきなり飛び出してきた。「しっかり抑えろ」と大声で怒鳴られ、無我夢中で何が何だかわからぬうちに手術が終わった。解剖より先の生体実習だ。よくぞ卒倒しなかったものだ。その先生が私には神に見えた。口さがない町の連中は陰口を言いつつも、いざとなるとその先生に頼っていた。兄は今も命の恩人だと、腹部の大きな傷あとに文句をいうこともなく健在である。幸せなことである。 

 この状況を現代に置き換えてみる。すぐ救急車を呼び1時間離れた都市部の大病院へ運んだら、そこは軽症患者であふれ順番待ちをしている。医師が腹に手を当てることもなく検査に回され、やっと手術が決まっても外科チームは朝から3件目の手術の最中。七転八倒して、手術を待っている間に死んだかもしれない。手術が間に合っても、「こんな大きな傷あとを残して何事だ。傷が化膿したのは医療ミスだ」とクレームをつけていたかもしれない。治ったのに不幸せなことである。 
 かくのごとく医療は患者と医師の信頼関係の上に成り立っている。最大限努力しても不満足な結果を招くリスクは避けられない。そのリスクを可能な限り低くしようと努力しているのが現場であるが、常に100%を求める国民性は産科医になろうとする研修医をストップさせている。日本の医療に何が起こっているのか。産科、小児科、地方勤務医の不足は知事や市町村長、大学や現場の医師が悪いのではない。社会の変化に国の医療行政が追いつかない60年間のツケが一気に噴出したのが、今の「医療崩壊」なのだ。その原因は、国が医療費抑制政策と医師削減政策を続けてきたことである。そういう政治を選んできた私たち国民にも責任がある。 
 病院勤務医は長年にわたり頼られることに生きがいを感じ、目の前の患者の対応に忙殺され過重労働となっていた。それも国も行政も住民も放置してきたために燃え尽きてやめてしまう。日本の病院はこのようなもろい基盤の上に成り立っていたことを認識しなければならない。新医師研修制度のために大学に医師がいなくなり地方に医師を回せなくなったというが、それは大学が悪いので はない。大学は医学教育や研究が本分なのに、医師の地方配分までさせてきた国が悪いのである。医学部の定員を増やしても、現在のような自分のやりたい診療科をやりたい場所でやれるシステムでは何年たっても医師不足は解決しない。医師提供体制は国の責任で、産科、小児科、あるいは一定期間地方勤務を義務化するしかないだろう。それを動かすのは国民である。 
 サッチャー元首相が医療費、教育費を削った結果、英国は医療崩壊し入院や手術の待ち時間が1年を超え、救急外来も3時間待ちとなった。日本は今、その同じ道をたどりつつあるのだ。 
 病院は医師がいなければ成り立たない。これは岩手だけでなく全国の問題であり特効薬はない。宮古市医師会が行政と連携して県立病院の休日診療を手伝う試みは大きなヒントである。また、住民は要求するだけでなく、「兵庫県立柏原病院の小児科を守る会」が自分たちで小児科医を5人確保した例に学ぶ必要がある。どんな地域でも、人が住むところには生活があり、かけがえのない人生がある。しかし人は病気を避けて生きることはできない。普遍なる医療の均霑は文化国家の最低条件である。オバマ大統領の「チェンジ」は、社会を変えるのは自分自身を変えることだと言っているのだろう。 ※均霑(きんてん):平等に恩恵や利益を受けること

医療法人日新堂 八角病院副理事長 樋口 紘 

皆様はこの上記の文章を読んでどのような印象をお持ちになったでしょうか。私も開業する前の昭和64年1月から平成5年1月まで県立中央病院眼科科長として勤務した経験があり、その時期、樋口 紘先生は脳神経外科科長兼救急医療部長でした。当時も県立中央病院の忙しさは筆舌に尽くしがたく、救急外来患者さんが少ない眼科においても終日ポケットベルから解放されることはなく、家族との約束をキャンセルしたことも度々でした。眼科外来では午前中だけで140人の患者さんを2人の医師で診察し、その後、手術場に直行しなければならず、昼食を週に2度抜くことも少なくありませんでした。また、手術が終了するのが午後8時を過ぎることも度々であり、その後、30通以上に及ぶ紹介状や各種書類の整理、翌日の準備等を行うと、帰宅は10時以降になることがほとんどでした。一方、救急外来を担当する他科の先生方はもっと多忙であり、例えば御紹介した文章をお書きになった樋口先生などは、徹夜で手術をした後に外来をこなし、その日の夜に医局会で食事に出されたお寿司を箸で団子のように突き刺し、それを一気にほお張り、また手術室に戻るというような光景が日常茶飯事に見られました。なぜそれまで頑張るのかと思われるかもしれませんが、そこには目に見えない患者さんと医師との太い絆があったからに他ならないと思います。すなわち医師は倫理観と責任感とともに強い使命感を持ち、患者さんからは「ありがとう」というねぎらいの言葉が聞かれたように思います。医師はその言葉に幾度も励まされ、また新しい力が湧いてきたように思います。我が国における医療状況や体制が理想的とはいかなくても、いつでも誰でもどこでも医療が受けられるという国民皆保険制度は世界に誇れるものです。現在の医療崩壊といわれる状況が一朝一夕に改善されることは難しいと思いますが、医師と患者との信頼関係がお互いを尊重するという気持ちの上に成り立つことを改めて感じさせられた文章であったと思います。 

(2009年1月26日 岩手日報より転載)


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